今回は、何とまあストレートな。
そうです。ついに、あるいはようやく?相方と「生涯のパートナー」になりました。 実は口頭試問が終わってからもけっこう忙しく動いておりました(まあ、ヒマそうには見えたかもしれませんが…)。そう、「結婚式」 なるものを挙行したのであります。
で、てはじめに入籍を。2月3日 ―私の誕生日の翌日、というよりも他にもっと重要な意味があるのだが― に、某区役所にて、 朝イチで入籍いたしました。当たり前ではあるが、その直後に住民票を取ると、相方の名前が変わっておりました。うわあ、 ホントに結婚してるがな(アホか)。さらにしばらくして、両親が所用で家族の戸籍抄本を取ると、しっかりと記載されていたそうな。まあ、 当たり前といえば当たり前だが、じーんとしてしまう私でございました。
で、結婚式ですよ。2月15日(日)。横浜にて。
写真は恥ずかしいので載せない。披露宴で用いた花の写真でも↓。
自分で言うのもなんだが、かなり好評であったようだ。挙式には学生たちも来てくれたので、ずいぶんにぎやかな(いや、「やかましい」
の方が適切か?!)ものとなった。でもまあ、あんな学生たち(失礼)でも、来てくれたのはありがたかったし、そのへんは(たとえ非常勤でも!
!)教員冥利に尽きるのかもしれんなあ。しかし、学生たちには「ブーケは取るな」ってあんなけ言ってたのに…。
披露宴の方は、年齢も年齢なのであんまり「幸せの風船〜」といった類の派手な演出はしなかったが、司会者の方の努力もあって、
場は持ったようだ。料理もうまかったのだが、いかんせん新郎とあってはすべて食うというわけにもいかない。
スライド上映の際に影でコソコソかなり食べたが、それもしっかり見られていた(笑)。でもメイン料理はうまかったなあ。
タッパに入れて持って帰りたかったなあ(セコイ!?)。
式の翌日は、両親と親戚などで横浜見物。山下公園、大桟橋、中華街などをそぞろ歩く。天気もきれいに晴れたので、 なかなかの観光日和。私は横浜とは何の縁もゆかりもなかったが、そういえば清末には梁啓超もいた町だったなあなんてことをふと思い出す。 そうすると町にも興味がわいてくるというもので、いきなりこんな本を買ってしまいました (ま、古本やけど)。中華街で昼ごはんを食べ、夕方に帰宅。さすがに疲れましたですよ。
「結婚式」というのは、私が身を置く業界?ではとかく軽視されがちだ。なぜかはよくわからないが、一言で言って「カネのムダ」
と考えられているからだろう。やったとしても某大学近くのG会館などでやるのが「エライ」といった風潮が今でも存在するような気がする。
私はあんまりこういう風潮が好きではない。別になんだっていいじゃないか、と思う。特に私の場合は相方が全く違う世界 ―
最初はかなり戸惑ったもんです― にいることもあり、こうした思考に違和感を覚える。かくいう私も最初は「ジミに」と主張したのだが、
「どうせやるなら」となっていったような気がする。まあ、かといって世間でかつて言われていた「ハデ婚」とは一線を画すようにしたが。
早い話が、ヘンな規範意識に惑わされる必要はないということです。
私の式場選びのポイントは、「死ぬまでつぶれないこと」でした。おそらく今回お世話になった場所は、
よっぽどのことがない限りなくなりはしないだろう。建築が役所の保護を受けているから。いわば自分の生命よりも長い「場」を求めたのだが、
それは私が命の短さ/時間の長さを感じているからなのか、あるいは単に私が「存在するモノ」にこだわっているだけなのか、
そのへんは自分でもよく分からない。でも、「時間の流れを感じていたい」という感覚は、自分のなかにきっとあると思う。あの古い建物、
そして会場は、私にたびたびそうした感覚を呼び覚まさせてくれた。歴史を考えることは、そうした感覚の鋭さが必要なんじゃないのか、
そして私はそうした感覚があまりに鈍かったのではないか? ―こんなことを、こともあろうに披露宴の最中にふと思った。
ともあれ、ですよ。式に出席していただいた皆様、ホテルのスタッフの皆様、そして何より相方に感謝したいです。
そうそう、私はまだ授業してるんですよ。町の学校の最終章、といったところ。昨日試験をすべて作り、明日はすべてテスト。 もちろんめんどくさいといえばめんどくさいのだが、この学校特有の?この煩わしさも最後かと思うと寂しくもある。学生たちよ、 もう少しだけつきあっておくれ。

