タイトルが意味なく長くなってしまった。まあ、それはそれで。
またもや長い間更新せず。これにはわけが…特にあるというわけではなく、単にめんどくさかったから。まあ、来週から中間試験 (というとどうしても高校までのテストを思い出すが、まあ要するに学期の途中でやるテストのこと)があるので、 とりあえずこのタイミングで書いておきたいなあ、と思うわけであります。
何をか、というと、タイトルにあった三つのもの。「NHKスペシャル」は、物議をかもした「日本デビュー」のこと。まずはこれから。
「Nスペ」は、台湾統治における日本の行為を、被統治者たる台湾人からふりかえろうとしたもの。後ろに某研究会の影が見えるが、
まあ、それはいい。被統治者が日本のテレビ(しかも国営放送!)に、統治されていたときの差別などを率直に述べていた点は、
やはり評価すべきだと思う。台湾に行けばいくらでも聞くことのできる話ではあるが、日本の国民にとっては台湾の「反日」はある意味で「新鮮」
だったかもしれない。
でもまあ、やはりこれが物議をかもした理由もわかる。確かにインフラなどの点で近代化を推し進めたのは日本という要素は大きいし、
後に来た国民党政権がひどすぎたために日本の統治が懐かしく思い出されるというのは確実にあると思う。そのあたりは、
予備的議論として放映すべきだったと思う(特に日本は台湾についてあまり知らないのだから)。
ただまあ、Hさんも指摘されていた(いや、こちらの曲解かもしれないが?!)ように、この「物議」の質があまりに低すぎるのではないか、
と思った。抗議した方々はおおむね独立派およびそれに賛同する一部の日本人士だったが、
彼らの議論は正直言って台湾の現実の複雑さに到底適応しうるものではない。彼らは「親日/反日」と「親台/反台」と「親中/反中」
というカテゴライズがあたかも一対一対応しつつマッピングできると考えているようだが、台湾はそう単純ではない。
それに某氏も指摘するように、台湾人(このカテゴライズも問題だが)の人の良さ、あるいは悪く言えば「調子よさ」というのもあるだろう。
台湾人の日本への思いというのは理屈と感情、そして現実の人間関係も含めた人情といったものによって形成されているのだから、
一元化されることなどまずありえない。台湾人一人ひとりのなかの精神に、それぞれのやり方で埋め込まれた記憶なのだ。だからこうした意識は、
社会科学よりもむしろ文学の感性の方が汲み取りやすいのではないか、と思う。
だから、この「反日」などという抗議はあまり生産的だとは思えない。某先生が著書のなかで述べておられたように、
台湾をあまり単純に考えてはならないのだ。
このような認識を持つと、台湾で大ヒットした映画「海角7号」の問題も浮かび上がってくるだろう。
ストーリーなどは検索すればすぐに出てくるだろうから書かない。
正直申して、この映画の完成度はさほど高くないように思う。演出もうまくないし、何より肝心のラストは取ってつけたようなものだし。
ただし、台湾語・北京語・日本語などの言語の選択や、それにまつわる軽妙なやり取りなどは秀逸だと思った。台湾、
とりわけ南台湾ではああした状況は絶対にあるだろうなあ、と思わせてくれる。
ただし。問題というのは、これだけで「台湾らしさ」を味わった気にさせてしまうという、ある意味での恐ろしさだ。この映画の評論では
「本土化された台湾人が、中国化された国民党政権に対抗してヒットさせた」というものが散見されている。
もちろんそういう側面もあるだろうが、それでは台湾のすべてではない。異端、
あるいはあまり見られたくないものを無理に隠しているように思えてしまうのだ。それは、台湾人にとって「残念」かもしれない「中国性の影」
である。この映画には本省人・原住民・客家人・日本人は出てくるが、外省人は出てこない。で、それらの登場人物はすべて「いとしく」
描かれている。それはもちろん映画なのだから設定自体を変えろとは思わない。外省人が出ない映画だって全くかまわない。ただし、
外省人の持つ、様々な意味での「記憶」を消してそれでよしとすることは、やはり台湾理解にとってあまり好ましくないと思ってしまうのだ。
日本が台湾の植民地であった記憶を消すというのはどうなのか、という問いもあろうが、何にしたって台湾に住んでいる/
住んでいた人の記憶を都合よく消すことは許されないのではないか、と思ってしまうのだ。それは ―
たとえ外省人がどんなにひどいことをしていようとも!― 歴史の曲解だし、悪く言えば「記憶の暗殺」だと思う。
やはり台湾は歴史性を強く意識したうえで認識しないと、大きなものを失ってしまうような気がする。「記憶」も「トラウマ」
も含めて理解すべきだろうと思う。それが台湾を理解する難しさなんだろう。
で、そういう歴史意識をうまく描けていたと思うのがNHKの連続ドラマ「遥かなる絆」だった。もちろんあれは実話で、 残留孤児だった父親の足跡を娘が辿っていくという、かなり特殊な経験がベースになっているため、 歴史というものが否応なしに意識されたつくりとなっていた。ドラマの細部にはいろいろあるけれども(特に中国語の出来なんてのは、 ホントにどうでもいいことだと思う)、それはあくまで小さな問題だと思う。歴史、しかも戦争の歴史に向かうという、日本人として、 そして人間としてかなり辛いとも思える体験を、ドラマながらトレースしてくれたことに謝意を示したいと思う。 それは冷戦期の政治的イデオロギーのような単純なものではなく、やはり理屈と感情と人情の混じったものだったろう。それが歴史であり、 中国そのものなのだと思う。素朴な、無謀とも思える歴史との取り組み、そして格闘。それを私は支持したいと思う。
歴史に対する認識をめぐって、この三本は教訓を残してくれたのではないかと思う。それは、東アジアの現在を見るには、 やはり歴史認識の再確認が必要なのだ、ということ。それはいずれの政治的イデオロギーにも収斂されない、生の感覚である。 政治も社会も経済も、そして人間の愛憎もナショナリズムも、すべて混合した「歴史」を見る時期に来ているのではないか。そして、 単純なナショナリズムによってすべてが彩られがちな現在だからこそ、そうした「歴史」を少しでも見る人間が必要とされているのではないか、 と思う。それに私がなれればいいが…まあ、無理かもなあ(笑)。




